百人一首 イラスト集

小倉百人一首の和歌を、時間と空間を一切考慮することなく、きわめて独断的に解釈して作成したイラスト集です。

少しでも笑っていただけたら幸いです。


(1番)

その昔奈良時代以前、田んぼに隣接して見張り小屋のようなものがあって、そこで収穫近いイネの番をしたそうです。当時はただでさえみんな貧しく一般の農民などはほとんど竪穴式住居のごとく家を住んでいたくらいですから、見張り小屋の屋根(この場合は苫で編んだだけ)は夜露さえしのげないほどすきまだらけであったとのこと。この時代の農民がどのような衣服を着ていた(あるいは何も着ていない)かまったく想像もつかないので現在に置き換えて表現しました。


(2番)

季節は徐々に夏へと向かっているようです。このような時期は洗濯物はよく乾くし、布団干しにも適しています。

ところで洗濯を終え、ふと見上げると、ムササビが気持ちよさそうに滑空していました。その姿があたかも物干しざおにかかっているTシャツにダブって見え、「いとおかしく」思いました(もちろん、作り話)。


(3番)

一般的な解説では、この歌は長い夜に恋する人に逢えずに「ひとり寝」のさみしさを味わっている、というような解釈をされていますが、何も寝つけない理由は「ひとり寝」だけにあるわけではなく、たとえば柿本人麻呂の時代(7世紀頃)には灯りのようなものはほとんどなく(油はかなり高価)、月がでていない夜はそれこそ鼻をつままれてもわからないほどの闇であり、盗賊や野生動物の脅威におびえていたことでしょう。そういう意味で一般に「夜」そのもの、とりわけ秋の夜長を憂いていた歌と考えるほうが自然であると思います。

照明器具やテレビ等の気晴らし手段にあふれた現代でも、ふとしたきっかけから電気が通じていない山荘やテントで夜をむかえようとしているときに、偶然窓の外に尾の長いヤマドリを見てこの歌を思い出し、「ひとり寝」のつらさを思い知ることがあるかもしれません。


(4番)

よく知られた歌です。

最後の「雪は降りつつ」は「(今)雪が降っている}ということですが、ちょっと思い出してもらえばわかるように、現に雪が降っている最中の富士山の峰は雲や霧に隠されているのでふもとからは見えるわけはありません。実際に奈良時代に山部赤人が詠んだという元歌は

「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」

であり、「雪が降っていた」と過去のことを述べています。つまり実際に富士山を見たと思われる赤人と違い、この歌をのちの歌集に選んだ人物は富士山を見たことがないのかもしれません。

そこで、富士山に遭遇する機会がなかった西国の人が生まれて初めてこの山を目にした場合の感動を大袈裟に表現した結果、あたかも現在進行形で「雪が降っている」かのように見えたと理解しておきましょう。ここでは西国の鹿児島(薩摩)から仔細あって江戸に向けて旅をしている「西郷どん」という人がいたとします。彼は「こんな神々しい姿をした山は今まで見たことがない。上半分がすべて雪に覆われているではないか。ふるさとの桜島や開聞岳ではこのようなことは決してない。まるで今も雪が降り続いているようだ。」(注.標準語訳)と率直に感動するに違いありません。


(5番)

紅葉の真っ盛りの時期になると、シカの雄が雌を慕って鳴く。その声を聞くと悲しくなったものだそうです。厳しい冬の到来を予感してのものでしょうか...

それでは、この鳴き声が聞こえないようにすれば「秋は悲しき」にならないと思い、山奥のサルが「聞かザル」よろしく耳を塞ぎましたが、悲しいことには何の変わりもなく、結局は涙があふれるのを抑えることができませんでした。


(6番)

「かささぎの渡せる橋」とは中国の伝説で天の川か、または宮中の階段とのこと。それによりこの歌の意味は別のものになってしまいますが、奈良時代以前の「宮中の階段」といってもどういうものかわけがわからないので、前者の意味とします。

その天の川の無数の星が霜のように白く散らばっているのを見ると、本当に夜が更けたことだと感傷的になっているさまを表現しているそうです。私はつい数年前まで「天の川」らしきものを見たことがなかったので、それまではその存在さえ疑っていましたが、中央アルプスの山小屋に宿泊中、夜中に用を足しに外のトイレに行く際にそれを実際に目にし、初めて自分もやはり「銀河系内のちり」のひとつであると実感したものです。

このオオカミくんは、はたしてどうなのでしょう。


(7番)

その昔(奈良時代)、遣唐使の阿倍仲麻呂ははるか異国の唐から月を見て、帰ることができない日本の奈良の都をしのんだと伝えられています。

現在の宇宙飛行士は宇宙遊泳中に月を眺めて、はるか下界の地球のことを思うのでしょうか。


(8番)

ボク、キツツキ。ボクの住み家は花の都の東南にあって、都会から隔絶した森の中です。シカが鳴くほどの辺境の地なので、人里でおもしろおかしく暮らしているシティボーイのカラスくんなぞは、まるでボクがこの世を憂いて隠遁生活を送っているかのように言いふらしているけど、とんでもない!

実際にはこのように、かわいい彼女とスウィートホームで平穏に生きているんだ。まったく人のうわさとはくだらないもの。


(9番)

百人一首の中でもよく知られた歌です。

一般的には「花」といえば桜のことであると解説されていますが、桜の花びらは時とともに「色あせる」わけではなく、そのままの色で散ってしまうので、ここは勝手に今の季節にちなんでアジサイとします。「ながめ」=「長雨」もこのこじつけにピッタリです。

妙齢の女性が雨に濡れるのもかまわず、傘もささずに色の変わってしまったアジサイをながめています。年とともに失われつつある“美貌”を惜しみながら。


(10番)

逢坂関(おうさかのせき)とは、今の京都(山城国)と滋賀(近江国)の境となっていた平安時代の関所とのことですが、正確な位置は現在では定かではありません。イラスト中の碑と常夜灯は滋賀県大津市の国道1号線沿いにあるそうですが、本来あったとされる場所とは違うようです。

要はこの関所は、京の都に行く人とそこを出る人、出会う(「あうさか」にもじって)人と別れる人にとっていわば“人生の交差点”ともいえるところであったとされています。この点では、江戸時代の関所が単なる軍事的な関門であったことと比べると、この時代はだいぶ趣が異なっていたように思えます。

このような情景を、通行人が行き交う感じに表現しました。なお坊さんの笠にとまっているセミは作者の蝉丸にちなんだもので特に何の意味もありません。


(11番)

参議篁(さんぎたかむら)が遣唐使に関するいさかいにより、当時の嵯峨天皇の怒りをかって島流しになり、漕ぎ出した際に見かけた漁師の釣り船に「俺は元気で出かけて行ったよ」と都の人たちに伝えてくれと心の中で託す、といった意味なのだそうです。

今でいうと差し詰め地方に左遷になり、単身赴任に出発するときの心境でしょうか。離陸した飛行機の窓から見えたツルに対して、都会に残してきた家族・友人によろしく伝えよ、と念じています。なお、秒速数百メートルで航行中の航空機と至近距離ですれちがう物体など、いかに超人的な動体視力をもってしても識別できるわけはありませんが、まあそのような心情から生まれた幻のようなものとご理解ください。


(12番)

空を舞う天女の姿をとどめておくために、雲の中の帰り道を閉じてほしいと天の風に願っているそうです。

この場合、「天女」などといったの架空の存在がどのような衣装をまとっていたかは知る由もありませんので、現在でいうバレリーナに置き換えてみました。モデルはドガの『踊り子』でしたが、どういうわけか顔がすっかり日本人になってしまいました。


(13番)

風采の上がらないブルドッグ氏は、“恋の病”とやらで日ごとに思い悩みが募り、もはやどうにもならない心境となりました。まさに筑波山のふもとを流れる川のようにこの悩みも深くなる一方といったところです。

ところで今まで知らなかったことですが、「男体山」と「女体山」の2つの峰を抱える関東の名峰筑波山では、古来「歌垣」というなかなかエロチックな行事が行われてきたそうです。たとえば万葉集の中には現代語訳すると次のような意味の露骨な歌が収められているとのことです(Wikipedia「筑波山」より)。

鷲の棲む筑波山の裳羽服津の津のほとりに、

男女が誘い合い集まって、舞い踊るこの歌垣(かがい)では、

人妻に、私も性交しよう。我が妻に、人も言い寄ってこい。

この山の神が昔から許していることなのだ。

今日だけは目串(めぐし、不信の思いで他人を突き刺すように見ること)はよせよ、 咎めるなよ。

昔の日本人は性におおらかですね。この方がかえってイヤラシサが感じられず、いいと思います。


(14番)

「しのぶもぢずり」とは信夫(今の福島県)で染められた乱れ模様の布らしいのですが、この模様のように自分の心が恋で乱れているのは自分のせいではなくて美しいあなたがわるいということなのだそうです。

何やら不倫に陥った男が言訳に使いたそうな一首ですなぁ。


(15番)

キミのために野原に行って「幸運を呼ぶ」四葉のクローバーを探してきたよ。雪が降りだしたのも構わず。

本来は、春の七草に代表されるような若菜を摘みに行くといいたいところですが、ここではむしろ“恋人”(のつもり)のあの娘(こ)のためにめったに見つからない四葉のクローバーを探し当てた喜びとしたほうが現代的でしょう。彼の熱意に幸いあれ!


(16番)

みんなとお別れして、いなか(因幡の国)に行くことにニャッてしまったけれど、そのいなかの山に生えている松の木の上で招き猫が呼び寄せているのを見たら帰りたくニャッたニャー。きっと誰かがボクの帰りを待っているんだろうニャー。


(17番)

カワセミくんの困惑。

川面が紅葉の落ち葉で真っ赤に染まっているではないか。これでは獲物の魚を見つけられないじゃないか。どうしてくれるんだ。こんな光景は見たことも聞いたこともない!


(18番)

この歌は、作者が女性の立場に立って「夢の中にさえ、どうして現れてくれないのか」とのせつない恋心を詠んだもの。そこで、悪夢を食べてくれるという架空の動物の獏(ばく)の出番です。

おいらは獏。どうやらこのお嬢さんは、せめて夢の中だけでも好きな男がやってくるのを待ちこがれているみたいだが、どうせこんなチャラ男は口先だけ調子がよくて、最後は女を捨てるものと決まっている。となれば、こんな本人のためにならない悪夢を見ているようならこれを食べてあげよう。これでもうぐっすり眠れるね。おやすみ、お嬢さん。


(19番)

この歌の作者は父親の任地が伊勢であったのでこの通称で呼ばれ、宇多天皇の中宮の温子(おんし)に仕えていましたが、そのうちに温子の兄に恋したが破れ、やがて宇多天皇の皇子を生んで「伊勢御息所」となりました。

ところがこの皇子が早世し、さらに宇多天皇の出家後にその別の皇子の一人(もちろん母親は彼女ではない)敦慶(あつよし)親王と結ばれて、のちの女流歌人中務(なかつかさ)を生んだとのこと。

以上、彼女を中心とした家系図は複雑極まりないものになりますが、恋に忠実に生き、この歌のように、恋する人がほんのわずかの間(難波潟のアシの節の間)すら逢ってくれないと嘆かずにはいられなかったということです。


(20番)

89番の「玉の緒よ...」の絵と対をなすものです。密会のお相手というわけです。今回は手抜きをしました(笑い)。

「思い悩んでみれば、今となっては同じ難波にある澪標(みおつくし)ではないが、“身を尽くしても”あなたに逢いたい。」

不倫もここまでくると、もう抜け出せない?


(21番)

この歌は、「通い婚」の風習があった平安時代に女性が男を待ちわびる気持ちをおもんばかったものだというのが通説ですが、ばかなことを言ってはいけません。現在の男はそんな余裕はなく、まさにこのボクの悲惨な体験を詠ったものです。

彼女(と思っていた人)が「今すぐに行くから」というので、この言葉を信じて公園で待っていたのにいつまでたっても現れず、夜が明けて有明の月を眺めることになってしまいました。哀れなボクは放心状態のままブランコの上で身じろぎもせずにいたものだから、気がついたら野良ネコが膝の上で居眠りをしていました。もちろん、電話をかけても出てもらえません。チクショー。


(22番)

「厳しい秋(初冬)の山から吹き降ろす風で草木がしおれる。なるほど、山風を嵐というのだ」そうです。

上の句と下の句の関連は意味不明ですが、山風の「山」と「風」を縦に続けると「嵐」になるといった、小学生レベルの漢字クイズのようです。この歌が百人一首に選ばれたことについて様々な批判もあるようですが、とりあえずこういったわかりやすい作品があってもよいのではないでしょうか。

ここでは初歩的な漢字クイズのついでに、「山」と「嵐」を組み合わせて「ヤマアラシ」というのはいかがでしょうか。えっ、つまらなすぎて、おやじギャグにもならないって?


(23番)

秋の月を見ていると心がしんみりとして、あれこれと際限もなく悲しくなります。今まさにこの秋を自分で独り占めにしているような気分ですが、もちろん、秋は私一人のものではありません。

目の前のスズムシ君だって、この風情を味わって鳴いているみたいだし。


(24番)

「今度の旅は急なことなので、神様にささげる幣も準備できませんでした。そのかわり手向山のもみじをささげますので、お受け取りください。」という意味らしいです。手向山は奈良の東大寺の近くにある紅葉が美しいところで、手向山八幡宮という神社が置かれています。

要は神も納得してもらうほどの紅葉の美しさを強調したかったらしいので、ここでは子どもの七五三参りの際にもみじの葉を髪飾りに使ったら、何か御利益がありそうだとしましょう。かなり苦しい(笑い)。

なお、作者の菅家とは「天神様」で知られている菅原道真のことです。


(25番)

恋しい人に逢えるという逢坂山で、偶然目にした「さねかずら」。「さね」には一夜をともに過ごすという意味合いもあり、俄然片思いのウサギさんをさねかずらをたぐり寄せるように連れ出したいと下心を抱いたタヌキ氏。しかし、背中に背負った柴には誰が放ったか定かではない炎が。

太宰治の『お伽草子』では、あのよく知られた童話の『かちかち山』が、小悪魔的美少女のウサギに恋するさえない中年のタヌキを主役としてパロディ化されていますが、これは実に残酷な物語であり、ここでとりあげることをためらったのですが、ほかにいいアイディアが浮かびませんでした。

要するに、スケベ心の結末は大やけどに終わるのが関の山ということ。


(26番)

もみじの名所である京都の小倉山を見た宇多法皇が、その見事さから、これをぜひ自分の子(醍醐天皇)にも見せたいものだ、と言ったのを聞いた貞信公がヨイショして、

「小倉山の紅葉よ、もし心があるならば、もう一度ある行幸まで散らないで待っていてくれ」

と詠んだそうです。

側近の「ヨイショ」の件は別にして、自らが感動するほどの美しいものを見たときには、これをどうしてもわが子にも見せたいと思うのが親心なのでしょう。この絵の場合も、紅葉の美しさそのものよりもむしろ肩車の上でこれに見とれている息子のほうをよろこばしく感じている父親の表情を表現したつもりです。


(27番)

ある純情な高校生の嘆き:

いつ見たか忘れたけれど一目で恋してしまいました。ボクの頭の中は「あの子」のことでいっぱいです。もう何を見ても「あの子」の顔や姿が目の前にちらついてどうしょうもありません。こんな状態で万華鏡をのぞこうものなら、無数の「あの子」がボクに微笑みかけて気も狂わんばかりです。

でも実は「あの子」なぞ一度も見たことがなく、これはボクの妄想かもしれません。もしかしたら、これが「恋に恋する」ということなのでしょうか(苦笑)。


(28番)

山里は冬こそまさに寂しさが身に応えます。人もいないし草木も枯れてしまっていますから。こんなに寂しく厳しい状況なので、普段は“犬猿の仲”の「二人」も仲よくいっしょに露天風呂につかっているのではないでしょうか。


(29番)

初霜で庭が真っ白になってしまい、どれが白い菊かわからなくなってしまいました。でもあてずっぽうに白菊を折ってみましょうか。な~んて、ここでもおおげさな表現をしていますねぇ。

ところで、ここにいる寒いのが好きなシベリアンハスキーは、犬の例に漏れず、色が識別できないといわれていますが、どうなのでしょうか。


(30番)

有明の月が冷淡に見えたあのつらい別れのときから、この夜明けの時間ほど憂うつに感じることはありません。

こんなに落ち込むくらいなら、いっそうきっぱりとあの女(ひと)のことを忘れてしまえばいいのに、彼女のことを想って夜もろくに眠れないほど悩み苦しみ、あろうことかその写真を後生大事に枕元に置き、毎朝じっとながめている始末です。いったいボクはどうしたらいいのでしょう。


(31番)

夜が明けて有明の月がまだ残っているのかと思えるほど明るいので、外を見るとそれは降り続いている雪の雪明りのせいでした。

でも、ウサギがもちつきしているくらいだから、やっぱりこれは“月”なのでしょうよ。


(32番)

山の中の川(ここで「山川」を「やまかわ」と読むと「山と川」の意味になるので、「やまがわ」と読む)の水面に風によって吹き寄せられたもみじ葉の塊が川をせき止める柵のように見えます。

ところで、このような美しい光景を趣深く感じるのは日本人だけでしょうか。9から10月にかけてカナダ東部のいわゆる「メープル街道」(このことばは日本人にしか通用しないらしい)の風景も見事だそうですが、カナダの人は水面に浮かぶサトウカエデ(日本のカエデとは別種)の葉を見てどのように感じるのでしょうか。国旗にこのカエデの葉がデザインされているくらいですから、彼らもある種特殊な思い入れをもつのかもしれません。

A Japanese poet in the 10th century had refined sentiment when seeing a cluster of maple leaves on the water surface gathered by wind in autumn. I’m not sure how western people feel in such a case.


(33番)

ボク、コアラくん(自分で「くん」をつけなくても...)。

うららかな春の日には、好物のユーカリばかりでなく、あでやかな桜の木にだってのぼってみたくなります。

でも、ちょっと遅すぎたかな。

花の散るのがおさまらないみたい。

ボクってとってもナイーブだから、こういうときは涙があふれるのを抑えられないんだなぁ。


(34番)

あまり長生きしすぎるもんじゃないのぉ。あんなに仲が良かった助さん、格さんも先に逝ってしもうたわい。これからはいったい誰を友としようか。さみしい余生じゃのぉ。あの「高砂の松」ですらむかしからの友人ではないのに...

じゃが気を取り直して、そなたたちの分も生きるぞ。ハッハッハッ。


(35番)

メジロたちの会話:

梅の里を久しぶりに訪れた主人公に対して女主(あるじ)が言いました。「ずいぶんご無沙汰していたじゃないの。わたしのことなんかもう忘れてしまったの。ここ梅の里はこんなにいいとこで、いつも大勢の人(メジロ)たちがやってきて文字通り『目白押し』状態だっていうのに、何でこんなに長いこと来てくれなかったの。」

これに対して主人公が言いました。「まあ人(メジロ)の心はわからないけれど、このふるさとのウメの香りは昔と同じじゃないか。このように世の中は変わっていないのに、変わってしまったのは君の心じゃないのかい。」


(36番)

残り少ない夏の夜に祭に興じる乙女。夜が更け、そして明け方近くになるもの忘れて、ふと空を見上げると、空が明るくなっていることに気がつきました。

「月はこんなにも短い夜の間に、雲のどの辺に宿をとっているのでしょうか。」


(37番)

“風”ということで、風神様の登場です。

「秋の野で葉の上の露の玉に風がしきりに吹きつけると、その露が飛び散る様が、まるでひもを通して結んでいない真珠が散るようだ」ということだが、ようし、こうなれば本当に真珠玉を飛び散らせてみるか。とりあえずビリヤードなんかがおもしろそうだぞ。


(38番)

好きだったあの人から忘れ去られても私は何とも思いませんが、あの人に神罰が下って命をなくしてしまうのは、何とも惜しいことです...

ということらしいですが、どうやら神罰が下るのを待つよりは、自ら下してしまうようです。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」をモデルにしましたが、小悪魔的な眼差しがこの状況にはぴったりだと思います。


(39番)

まばらに茅が生えている篠竹(しのたけ)の野原を見て、あの人への想いを隠して忍んでいても、もうどうにもこらえることができません。あの人の顔が目に焼き付いて離れないのです。どうしてあの人がこんなに恋しいのでしょう。


(40番)

おかしいなぁ、オレがクラスメートのあの子が好きだということは誰にも言わずに隠してきたんだが、妹のやつ、「お兄ちゃん、だれか好きな人がいるんでしょう。」とからかうようになった。そういえば、最近こうしてやたらに鏡を見てめかしこむようになったんで感づかれたのかな。ませたやつ!その上「どうせそのうちフラれちゃうね。」ってな感じで今もまたオレのことを見て笑っている。バカにするな!オレだってその気になれば、ひょっとしてジャニーズのようなところから声がかかるかもしれないんだ。


(41番)

だれかに恋してしまったら、どうしてもそのことが態度や振る舞いに表れ、すぐうわさになってしまうものだそうです。

思い悩みながらこっそりと好きになったばかりの人(ネコ?)の写真を凝視していても、あたかもまわりじゅうから見られているように。


(42番)

「約束しましたよね。お互いに(涙で)濡れた袖を絞りながら、末の松山を波が越えることがないように、二人の愛が変わることがないことを。」

しかし往々にして、このような淡い期待が裏切られることはしばしばあります...

ここでいう「末(すえ)の松山」とは宮城県多賀城市にある実際の地名で、古くから引き合いに出されている歌枕であり、まわりより少し小高い丘になっていて、“波”(ここでは津波のこと)が決して越えることがないことから「変わることがない愛」の象徴として使われているらしい。事実この歌が詠まれる前の平安時代の貞観地震(869年)、さらには記憶に新しい東日本大震災の際にもこの丘には津波が越えることがなかったとのことです。


(43番)

恋しいあの子(メスライオン)との想いを遂げてからあとの燃えるような気持ちに比べたら、昔の想いなどはまるで無かったようなものだ。

「百獣の王」と呼ばれるボクだって、これまでの彼氏(オスライオン)との死にもの狂いのバトルに勝たなければこんなふうになれないんだから、激しい恋心がわいてくるのも当然じゃないかな。


(44番)

あのとき一度関係をもったばかりに、かえってその後逢ってくれない冷たさに相手を恨み、そして自分のせつなさを嘆くことになりました。いっそのこと最初から完全な片思いで、会う機会など全くなかったほうがよかったのに。

この「彼」の場合、寝ても覚めてもあのときの“逢瀬”のことが頭を離れず、仕事どころではありません。目はうつろでパソコンの画面など見ていないようです。


(45番)

私をかわいそうだと言ってくれる人は思い浮かばず、このままはかなく人生を終えてしまうのでしょうか。

ひとりのアスリートが、ロダン「考える人」のようなポーズで思い悩んでいます。彼は長いこと思い焦がれていた女性にもフラれそうです。

よく見たら、いたずら好きのキューピットくんが小指に結ばれた赤い糸の先を切ろうとしていることが原因かもしれません。


(46番)

「由良川の河口を渡っている船頭が櫂をなくし、その舟がどこに行ってしまうかわからないように、私の恋の行方もどうなるのでしょうか。」

ところでこの船頭さんの場合、櫂を流されてしまったあとで「例の映画」に出てくるようなポーズをとっていますが、お客さんの一人はこの船頭にどうやら恋をしているようです。この舟、沈まなければよいのですが。


(47番)

やれやれ、出家遁世してこの古びた庵に住んでからもう何年にもなるが、仏道に励むのはもちろん、近ごろでは掃除や草取りでさえ面倒になってこのように軒も草ぼうぼうのありさまじゃわい。

こんなさびれたボロ宿を訪れる者もすっかり誰もおらんようになったが、こんなところにも赤とんぼがやっとくるとはねぇ。秋じゃのぉ。


(48番)

片思いに悩むサーファーがふと沖を見渡すと、恋する女性に似た「ミロのビーナス」風の岩が屹立していました。この(難攻不落の)岩にあたってもろくも砕け散る波しぶきが自らのかなわぬ恋心を表しているのでは、と感慨にふけっているのでした。若さっていいものですねぇ(笑い)。


(49番)

宮廷の門を守る衛士が焚くかがり火は夜に燃え、昼には消えているというが、この私(阿修羅)の恋心も夜にはぎらぎら燃えている一方、昼には意気消沈してしまう。そのように恋の煩悩は深いものだが、とにかくこの心の動揺を人に悟られぬように平静を装っていのることにしようか。


(50番)

夫婦仲がよい(実はそう見えるだけ)ことの象徴と知られるオシドリくん曰く。

「キミのためには命も惜しくないとカッコつけていたけど、こうして添い遂げることができた今となっては長く生きたいと思うようになったんだよ。」

一般に長寿の魚といわれている鯉が水面下で泳ぐのを見て、その思いがさらに高まったとか。

ただ残念ながら作者の藤原義孝自身は、天然痘にかかってわずか21歳で人生を終えた(一説では、病気のため、絶世の美男といわれた顔に醜い痕が残ったのを苦にして自殺?)そうです。


(51番)

あなたのことをこんなにボクが好きなこと言いたいのだが言えないのです。あなたは、ボクのこの燃える想いを知らないでしょう。せめてこの気持ちをしたためた恋文を読んでほしいのです。


(52番)

「地球は自転しているのだから、いったん夜が明けても、やがて暮れて必ずやまた夜が来るというのは子どもでもわかっているけど、でも朝になったら、このいとしいあなたと別れなければならない。ああ、なんとうらめしい夜明けだろう...」と、この彼は彼女と再会することのできる次の夜の到来を待ち焦がれるのでした。


(53番)

蜻蛉日記にあるこの一首の意味は、

「あなたを思って嘆きながら、一人で寝る夜が明けるまでの間、どんなにか長いものか、あなたにはお分かりになるでしょうか。」

ということらしいのだそうです。

いくら「通い婚」が当時の風習とはいえ、いつもの浮気相手のところに通っている夫のことを思い描きながら眠れぬ夜を過ごしている心情というのは気も狂わんばかりのものだと思われます。


(54番)

クレオパトラ思うに

ユリウス・カエサル(英語風に読むと「ジュリアス・シーザー」)さまはこのわたしに対して「いつまでも忘れないよ」とおっしゃってくれたけれど、そんな言葉が将来まで変わらないなんてありえない。だったら、この言葉を聞いてしまったきょう限りでわたしの命も尽きてしまえばいいのに。

でも、お優しいカエサルさまは、わたしのためにこのオウムに「君のこと忘れないよ」とのひとことを覚えさせてくれたから、こうしていつまでもあの愛の言葉を聞いていられるの。だけれど結局、聞けば聞くほど悲しくなって涙が出てしまうじゃない。もういっそのこと暗殺でもされてしまえば、彼を永遠にひとり占めできるのに...


(55番)

あの滝はなくなってしまい、音が絶えてから久しくなっても、その名声は今も聞こえてくるほどだワン。

そのように目の前の「○○公」も、亡くなった主人を待ち続けたというその“忠犬ぶり”が、銅像になってまでもいまだにみんなに語り伝えられているそうだワン。

自分もこれから生きているあいだに何か名を残すことを成し遂げて、立派な像を駅前に作ってもらおうかニャー(ではなくてワン)。


(56番)

和泉式部は恋多き女性でした。その彼女が晩年になり、自らの命が残り少ないことを自覚する中で愛する人にもういちどだけ逢いたいという情念を詠った歌だとのことです。

ところで、ここに不幸にも若くして不治の病で余命わずかになってしまったミチコさんという女性がいます。彼女は恋人のマコトさんに対して心のなかでこう呼びかけました(以下、ほとんどある曲の歌詞のパクリ)。

マコトさん 甘えてばかりでごめんなさい

ミチコはとってもしあわせ

はかない命と知った日に

意地悪いって泣いたとき

涙をふいてくれた...やさしいひと

願わくは、この身が召される前にもういちど逢いたい


(57番)

「せっかく久しぶりに会ったのに、あなたかどうか見分けがつかない間に帰ってしまった。なんてあわただしいんでしょう。まるで雲隠れした夜中の月みたい。」現代のような照明器具もない昔なら、夜は人の顔の区別もつきにくかったことと思います。それとも「めぐり会った」こと自体が実は幻で、キツネにでも化かされただけなのでしょうか。

ところでまったくの自分勝手な解釈ですが、紫式部が記した『源氏物語』の「雲隠」の帖(タイトルだけで本文が何もない)で光源氏の死が暗示されていることから、この場合の「雲隠れ」を「死」ととると、「久しぶりに会った友人がそのあと突然逝ってしまった」という意味にもなるかもしれません。年齢を重ねてくればそれもありそうなことかも。


(58番)

最近ほとんど連絡もしてこなかった男性が久しぶりに寄こした手紙で「私のことをお忘れなのですか」としらじらしく書いたことに対して、「よくもそのようなことを言うものだ。私のことを忘れたのはあなたのほうでしょ!」とうようなニュアンスの歌らしいのです。このような場合にはこんなふざけた手紙は破り捨てたくなりますね。なおこの歌で冒頭の「有馬山」から「風吹けば」までは「そよ」を引き出すための序詞ということですが、私の感覚では間延びした感が否めません。

作者の大弐三位は紫式部の娘とのことですので、前回と似たような着物を着せてみました(笑い)。


(59番)

待てど暮らせどあなたは来ない。こんなことならワインを飲みながらぐずぐずとアンタなんか待たずに寝てしまえばよかった。気がついたら夜明け近くになって月が西に傾いてしまったじゃないの。それにアンタが座ることになっていたわたしのとなりに例のネコが居眠りを始める始末だし。


(60番)

名高い和泉式部を母にもつ作者は、自身も歌が巧みであったそうです。ある歌会で藤原定頼が、(夫とともに丹後の生野に赴任している)母親にここで披露する歌を代作してもらったらどうかなどと失礼な冗談を言ったところ、

大江山を越えた生野の地など遠くて行ったことがありませんし、その途中にある天橋立も踏んだことがありません。(母から文をもらったなどとんでもないことです。)

と、この歌を詠んだということです。

でも「魔女の宅急便」のようなものがあれば、手紙をすぐに届けてもらうこともできますよ。もちろん、だからといって小式部内侍(こしきぶのないし)さんは代作など頼みもしないでしょうが。


(61番)

この作品については、歌のイメージそのままに作成し、“ひねり” のようなものは加えていません。妖艶な表情(笑い)が表現できていればいいのですが。


(62番)

ネットで調べたところによると、この歌の背景と意味はだいたい以下のとおりであるということです。

(1) 清少納言のもとを訪れていた藤原行成が、まだ夜中であるにも関わらず、明日所要があるとして帰宅。

(2) 翌朝、使いに文(ふみ)を持たせて「鶏の鳴き声が聞こえたので、朝になったと思い、帰ってしまった。」と言い訳。

(3) 中国の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関(かんこくかん)という関所を通って敵からのがれるため、部下に鶏の鳴き声を真似させて役人に夜が明けたと勘違いさせ、門を開けさせたとの故事があることから、「あなたが聞いたのは、鶏の鳴き真似でしょう。」と清少納言。

(4) 行成は、「函谷関の関ではなくて、逢坂(あなたに逢いたい)の関です。」と返答。

(5) それに対して清少納言は、「鶏の鳴き真似では逢坂の関は開きませんよ。」と、たわむれの気持ちを含んだキツイ一首。

現代では、このような軽妙なやりとりは文ではなく、ケータイ(スマホ)のメールで行うことでしょう。見事な歌で一本取った形の清少納言も、実は行成に途中で去られてしまったわけですから、このような場合「してやったり」の微笑の中にも怒りの気持ちが含まれていたのではないでしょうか。

そこで、そのときの表情を例の「モナリザの微笑」で表してみました。あまり似ていないとは思いますが、お許しを。


(63番)

柴犬(雑種?)のロミオくんの嘆き。

いとしいジュリエット(プードルの名)よ、キミのことを好きで好きでたまらないが、でもキミの飼い主のあの超セレブ夫人(ばばあ)が、「ジュリエットちゃん、あんたは立派な血統書付きのプードルなんだから、まちがってもあんなロミオとかいう下賤な雑種なんかと付き合ったらだめよ。」などというもんだからあきらめよう。だけどこうして顔を合わしてしまった今となっては、せめてこのあきらめたという気持ちだけでも直接伝えたいものだ。


(64番)

明け方の宇治川にかかっていた霧が晴れると、そこに現れたのは、浅瀬に設置された網代木であったという光景を詠んだ歌とのことです。ここでいう「網代」とは川に流されてくる鮎などを簀子(すのこ)の上に乗り上げさせる“やな”のようなものだと勝手に思い込んでいます。

この絵では、簀子上には川魚を狙うサギが待ち構えていたことから、川霧が晴れたときが網代にかかった鮎の最期であったというしょうもない光景を表現しています。


(65番)

思い切ってサッカー部の憧れのダイスケ先輩に気持ちを打ち明けてみました。けれども恋に破れ、かといって誰を恨む気力もありません。もうこうなったら剣の道にとことん打ち込んでみます。私だって有力選手なんだから、失恋の涙で剣道着が濡れてしまうのも惜しいけれど、自分につまらない評判が立ってしまうのはもっと惜しい。それにしても、自分の涙顔を隠してくれるこの面とは何とも重宝なものです。


(66番)

桜の季節も終息に近づいていますので、さらにもう一首。

孤高のニホンカモシカ氏(自分と同じ境遇? - 笑い)が山奥にこもっていると、ふと目の前に山桜が。このような辺境の地には自分以外に誰もおらず、愛しいと思う心をわかってもらうのは、このつつましやかな花だけだと感じたそうです...


(67番)

短く、はかない春の夜は思わず眠気を催してしまうものですが、そこで「枕がほしい」とつぶやいたところ、上司が「オレの手枕でどうだ」と御簾の下から自分の腕を差し出しました。

このようなセクハラ発言に対して、烈火のごとく怒るではなく、冷静に「そんな些細な手枕のせいでつまらないうわさが立ってしまうのもバカらしいではないですか」とスマートに切り返しました。

これには上司もはなはだ赤面して恥じ入ったに違いありません。冗談にもほどがあるといったところでしょうか。


(68番)

ボク、浦島太郎といいます。助けたカメにだまされて竜宮城に連れて行かれ、遊びまくって帰ってきたら、世の中すっかり変わってしまい、知っている人は誰もいなくなってしまいました。だからもうこれ以上長生きなんかしたくないけれど、「不本意にも」長く生きてしまったなら、今見ているこの夜更けの月をきっとなつかしく思い出すんだろうな。

そういえば竜宮城を去るとき、あの、かわいい乙姫さまからおみやげにこの玉手箱なるものをもらったけど、これを開ければ、「長く生きたときの気分」が味わえるかもしれないな。乙姫さまは「決して開けてはならない」といっていたけど、エーイこうなったらヤケクソだ、開けてしまえ!あっ、煙が...


(69番)

龍田川のほとりで、水面いっぱいに敷き詰められたもみじ葉にさえぎられ、鉱物の獲物(さかな)が見つけられなかったカワセミくん。そこに嵐が吹いてきて一部のもみじ葉を吹き散らし、現れた水面下には思わぬ獲物が。

今や狩りのチャンス到来といったところです。


(70番)

晩秋のビル街の夕暮れ時にイチョウの落ち葉を手に取り、うつろに眺める就活女性。リクルート活動の成果はあまり芳しくないようで、どことなく寂しそう。

でも同じ境遇のたくさんの仲間がいるので、「自分のせい」にしないで先の長い人生を陽気に過ごしてほしい。

ー 老い先の短い老人より


(71番)

やれやれ、涼しい秋風が吹くような季節になってきたか。モーこれでようやくきつい野良仕事でご主人さまにこき使われ...じゃなかった、お仕えすることから解放されるわけだ。今ごろあの田んぼの真ん前にある芦ぶき屋根の別荘で涼んでいるご主人さまも、この秋風の音を楽しんでいることだろうな。


(72番)

ある歌会で噂に高いプレーボーイに言い寄られた女性がやんわりとしかもスマートに拒絶した歌だそうです。ここで、「袖が濡れる」という恋に破れて袖を濡らすほど泣く(大げさな!)ことのたとえです。この歌が詠まれたときのいきさつでは、20代の男性貴族がなんと70代の詠み人の女性に言い寄ったそうですが、ここまで来るとほとんどセクハラのような気がします。

そこで今回は、あるパーティの場でアラフォーの女性が冗談半分に言い寄られた際に、やんわりとこれをはねつけたというシチュエーションに変えました。


(73番)

高い山の上の桜も咲きましたが、あいにく下界に漂う霞によって隠されてしまうかもしれません。この光景を見て、テキ屋稼業で旅を続けている寅次郎が妹のさくらの幻影に話かけているようです。

さくら、元気でやっているようだな。おまえとこうしてもっと話していたいのだが、もうすぐおまえの姿も霞に覆われてみえなくなっちまいそうだなぁ。ちくしょう、なんとかしてくれよ、労働者諸君!

なにぃ、頭がいかれて桜に独り言を言っているじゃないかって、それを言っちゃおしまいよ。


(74番)

つれないあの人のことを初瀬(奈良)にある長谷寺の観音様に祈ってみたけれど、仲がよくなるどころか、この初瀬の山おろしのように二人の仲がいっそう激しく、険悪になってしまった(そのように祈った覚えはないのに)。

まったくのところ、「神頼み」とはあてにならないものです。往々にしてかくのごとく逆の結果になるものですから。

ああ、それにしても、なんでこの十一面の観音様たち、よってたかって俺に冷たい風を吹きつけるのだろう。


(75番)

この歌の詳しいいきさつは省きますが、作者の息子のお坊さんがある名誉ある役職に取り立てられるように有力者に頼み、色よい返事を得たと思っていたところが、いっこうにその気配はなく、そのうちに季節が変わって秋も過ぎようとしているという嘆きの感情を詠んだらしいとのことです。

ところでこのサラリーマン氏は「昇格させてやる」との上役の軽い口約束を真に受けて待っていても実現しそうにもなく、秋の終わりにあたって祈るような気持ちでいるところ、賢いカラスだけはこの約束がウソであることを見抜いているのか、彼に対して同情の涙を流しています。


(76番)

海原に漕ぎ出てみれば、雲と見まちがえるように沖の白波が立っているということですが、経験では、はるか水平線付近の白波はよほどの大波でない限り見えるわけがなく、したがってこれを雲と見まちがえることもありえないと思いましたが、当時の吹けば飛ぶほどの小舟に乗ったと仮定すれば、その視線は海面すれすれになり、海と空の境目もかなり近くに見え、この歌のような状況になるかもしれません。ここでは、沖に向かって泳ぐペンギンの視線にたとえてみました。


(77番)

急流を流れる川の水が岩でせき止められて二つに分かれてもいずれはまた一つになるように、愛しいあの人とやがて逢おうと思っているということです。この再会の日が遠い将来のことになりそうというのが一般的な解釈のようですが、特に日本の川のような急流は、いったん分け隔てられた流れがすぐに合流することが多いことから、「なぁに、いま別れたとしてもすぐにまた逢えるさ」といった軽いニュアンスと取ったらいかがでしょうか。そうするとたとえば、二人の仲の良い幼なじみが並んでいるブランコを逆方向に漕いで離れたり出会ったるすることを繰り返すような光景が浮かんできました。


(78番)

その昔、摂津と播磨の国境(現在の神戸市須磨区)に須磨の関が置かれていたそうですが、早くも8世紀に廃止され、平安時代になっても「須磨」といえばさみしい場所の代名詞的なところであり、罪の比較的軽い流罪の流刑地になっていたそうです。

『源氏物語』の「須磨」の帖では、帝(光源氏の腹違いの兄)の寵愛を受けていた朧月夜という女御を寝取ってしまった光源氏が謀反の疑いをかけられ、裁きを受ける前に自ら須磨の地に蟄居して大変さびしく暮らしたことが書かれています。この生活の中で光源氏が詠んだ「友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし」という歌を、作者は念頭に置いたといわれています。

要するに、チドリの鳴き声程度の音がしても目を覚ましてしまうほど、当時の須磨はさみしいところだったようです。


(79番)

秋風に吹かれて横長に伸びている雲のすきまから漏れている月の光の何とくっきりしたことか。

この月を窓越しにうっとりながめている狼男は、自分がこの満月により変身してしまっていることを思わず忘れているみたい...


(80番)

その昔、“通い婚”の頃、女性と一晩を過ごした男が翌朝帰宅してからすぐに出す手紙を「後朝(きぬぎぬ)の手紙」とし、相手の女性に対して少しでも誠意があれば必ず出すべきものとされていました。なお、当時はそれぞれの脱いだ着物を重ねて布団代わりにし、その上でコトにおよんだため、次の日の朝のことを「きぬぎぬ」と呼びました。その手紙の中で「ボクのあなたへの気持ちは末永く変わらないよ。」などと言われてみたものの、その本心を図りかねてこの乱れた黒髪のように心も乱れ、物思いにふけっている女心を詠んだ歌とのことです。

現在ではさしずめ「後朝の電話」といったところでしょうが、最近は髪を茶髪系に染めるのが一般的なので長い黒髪ということになると、あのなつかしいダイヤル式電話の時代までもどらなければならないでしょう。

作品の内容上、かなりなまめかしい絵になってしまいました。


(81番)

夏の訪れを告げるホトトギスの第一声を聴くのは雅なこととされたそうです。そこで朝早く出かけ、その鳴くのを聴くやいなや声の方向を見上げたが、肝心な声の主の姿はすでになく、見えたのは有明の月だけだった...

という情景が浮かんできます。

しかし、キョトンとしているのは歌人だけでなく、月の住人のウサギもいっしょということでしょうか。


(82番)

つれない人のことを思ってもこの命はつきないのに、つらさに耐えられずに涙ばかり流れている。作者の道因法師はなんと80歳を過ぎてから出家したといいますが、仏の道に入ってからも悲しい失恋の思い出にわずらわされたのかもしれません。

ここに晩年を迎えた一老人がいます。彼は50年以上昔、好きだったサユリさんに想いがかなえられずに涙を流し続けたということです。彼は今でもサユリさんのことを思い出すと涙が止まりません。もちろん、現在の彼女ではなく、当時の若かりし彼女のことを。男というものは未練がましい...


(83番)

この世の中には苦しみや悩み、煩悩から逃れる道などないものだと思って俗世間を離れ、これぞ孤高の隠遁の境地に入ったようなロッククライミングのさなかでさえ、山頂で鹿が鳴いているのを見てしまいました。聞くところによると、鹿のオスが鳴くのはメスを求めてのことだといいます。ここまで来ても結局は俗世間の色恋沙汰を見せられたということ。


(84番)

長生きしていれば、現在の苦しいことも懐かしい思い出になることでしょうね。だって、これまでのつらい体験も今となっては恋しいのですから。

今までの数々の“苦労”のいくつか、

-ひとり立ち、運動会、受験勉強、就活-

を心に刻んでおくため、これらの光景をネイルアートとして描き、ときどきじっくりと眺めてみます。えっ、こんな細かい絵を描いて何か意味があるのかですって!いいじゃない!世の中には米粒にさえ絵をかくもの好きな人もいるくらいだから(笑い)。


(85番)

夜通しでいとしい人を想って、なかなか夜が明けず、寝室の隙間でさえつれないものに思えてくる。

この歌は「住の江の岸による波~」と同様男性の作者が女性の気持ちをおもんばかって詠んだといわれていますので、この絵で登場したお嬢さんを再登場させましょう。好きな人に逢えず、その夢さえも獏に食べられた彼女は、彼のことを思い悩んで夜も眠れなくなり、ついにカーテンの隙間から日がさす頃になっても悶々としているようです。鏡に映ったそのやつれた顔がいたいたしい!


(86番)

月が「嘆け」といってもの思いさせているわけではないが、月のせいにもしたくなるように流れているのが、ボクの涙なのです。

しかし、いくらなんでもボクの失恋の涙を「月を見て物悲しくなったから」ということではごまかせないな。ようしこうなったら「タマネギが目にしみた」ということにしよう。男というもの、失恋したくらいでは泣かないもの!


(87番)

にわか雨のあと、槇の葉に露がまだ残っている状態で霧が立ち上っている秋の夕暮の光景...

槇は杉のような木をイメージしているということなので、ドングリを食べているリスを登場させているのは筋違いのような感じですが、まあご容赦を。


(88番)

たった一夜の「仮寝」のために、身を尽くしてまでもこの人を生涯愛さなくてはならないのてしょうか。

この絵の場合、考えられるシチュエーションとして、「仮寝」の直前、「仮寝」の直後、または以前の「仮寝」の回想のいずれかですが、ご想像にお任せします。


(89番)

20番「わびぬれば...」のお相手です。「わたしの恋心(不倫?)はつのるばかりで、これ以上耐え忍ぶことができません。このまま命がなくなってしまうならそれでもよいのです。でなければ、心に秘めたこの恋がばれてしまいそう。」

などと思い悩みながらあの人と食事をしています。いっそのこと、このワインに毒でも入っていればいいのに。


(90番)

雄島(宮城県松島の島の一つ)の漁師の袖さえ波に濡れても色までは変わらないのに、私の涙に濡れた袖は(血の涙の色で)変わってしまいました。

通常目が損傷していない限り血の涙など出ませんが、ここではあまりにもつらすぎて泣くことのたとえなのでそうです。これは号泣のように涙の量が多いというよりも、むしろこらえきれないほどの強い悲しみにおそわれて流れてくる“濃い涙”のことでしょうか。そこである女性がこの悲しみをまぎらわせるために、ひとり酒場で飲んでいますが、やはりあふれてくる涙をおさえきれない光景を思いつきました。


(91番)

ここでいう「きりぎりす」とは現代では「コオロギ」のことです。コオロギが寒い夜に鳴いている。自分はといえば、ひとりでむしろの上に自分の着物だけを敷いて(平安時代は男女が共に寝る場合は二人の着物を布団代わりに敷きましたので、「片しき」とは自分の着物だけを敷くということ)寝ている。

思わず血も凍るほど悲しい光景ですが、現在ならば、失恋した男性がひとりダブルベッドで寝ていると、かつて女性が使っていた枕の上にコオロギがやってきて鳴きだしたというような感じになるでしょうか。女性が残していった髪の毛が余計に悲しみを誘います。


(92番)

「涙で袖が濡れる」というのは、同じ百人一首に選ばれている歌

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは

と同様に、恋心で涙が止まらないたとえに使われている大げさな表現です。

そういえば、ここに出てくる「沖の石」は、上記の「末の松山」とともに同じ宮城県多賀城市の、お互いにすぐ近い場所にあるとの言い伝えがあります。一方ではや常に海面下にあり見えることのない「沖の石」、他方では大津波(古くは869年の貞観地震、最近では2011年の東日本大震災)の際にも浸水しなかった「末の松山」。興味があれば、これらの歌枕は一度は見てみる価値があるかもしれません。

今回の場合、「マリリン・モンロー似の」女性が涙をとめどもなく流し、“胸の谷間”からあふれんばかりになっているというシーンにしました。こんなところでマリリン・モンローをモデルにする意味合いは全くありません。単に描いてみたかっただけです(笑い)。それにしてもIllustratorで巻き毛の髪を表現するのは困難を極め、結果としてこのような雑な絵になってしまいました。


(93番)

漁師の舟が陸から綱で引かれるというのどかな光景を見て、これからもこのようにのどかで平和な世の中であってほしいという作者(源実朝自身はご存知のように悲劇的な最期を遂げましたが)の願望です。

釣り人がこの風景を防波堤の上から眺めながら、海釣りに興じていましたが、いつまでたってもさっぱり釣れず、おこぼれを狙っていた野良ネコともどもついに居眠りを始めたところです。なんという平和な光景でしょうか!


(94番)

かつて都の離宮があった吉野(奈良県、現在では桜の名所)で晩秋の夜に風が吹き、砧(きぬた)を打つ音が聞こえてくるといった寂しい光景を詠んだ歌といわれています。ここで「衣を打つ」とは砧という棒と台を合わせた道具(イラストはひとつの例)で生乾きの布を打って柔らかくし、かつ光沢を与える作業で、今でいうアイロンがけに似たものだったようです。なお世田谷区にある砧という地名の由来がこのことに関連があるかどうかはわかりません。

ところで、この絵にどうしてタヌキが登場してくるかというと、何らかの意味があるわけではなく、上から読んでも下から読んでも「タヌキのキヌタ」ということで、要するにまったくのおやじギャグです(笑い)。


(95番)

恐れ多いことだが、このつらい世の民衆を私が住む比叡山(ここでいう「岨(そま)」とは、最澄の故事にちなんで比叡山を指す)の僧衣でおおって守ってやろうという意味とのことです。慈円は高校の日本史に出てきた『愚管抄』という歴史書を表した僧で、大僧正とありますから、僧侶の最高の地位に登りつめました。

したがって、ここで自分流に解釈した絵を描くと、場合によっては宗教に対する冒涜にもなりかねませんので、百人一首かるたの読み札をもとに人物像のみを中心にしました。ただし背景は現代の京都(東寺の五重塔と新幹線)にしました。要するにこの救民の願いが現在でも生きているとしました。

ところで、このモデルとした慈円の服装は、この歌にある通常の僧の仕事着である墨染めの僧衣ではなく大僧正の姿にされていますが、これでは僧として民衆を救うのではなく、“大僧正”として民の上に君臨するようなイメージになってしまいますので、これにはあまり同意できません。


(96番)

上司の口約束を信じて昇進の辞令を心待ちにしていたけれど、この身に降りかかったのは逆に「肩たたき」。きょうは自らのささやかな送別会も終えて帰る道すがら、ひどい春の嵐で満開の桜も散っている。この桜吹雪、何だか雪が降っているように思えるが、そうではなく、古くなっていく(降りゆく)ものは、この私自身なのだ。これからの老後をどうやって過ごそうか。


(97番)

いくら待っても来てはくれない恋人(猫)のことを思い、ドラネコくんは気も狂わんばかりです。あたかも夕なぎどきに焼いている藻塩のように恋焦がれている状態といったところでしょうか。これでは藻塩ならぬ大好物の鯛の塩焼きも目に入らないようです。

なおこの歌にある松帆の浦は淡路島の北端にあり、実際には東側に明石海峡大橋を見ることになるので、このような方向で夕日がさすことはありません。


(98番)

「ナラの葉をゆらしているそよ風はすっかり秋の気配を感じさせるが、みそぎの行事(京都の上賀茂神社の行事らしい)は今が夏であることを示している。」のだそうです。

ネットによると、この場合の「みそぎ」とは陰暦6月の晦日(新暦で8月上旬)に神社で行う夏越(なごし)のはらえの行事で実際に自分は見たことがありませんので、どのようなものかは不明ですが、何やら茅で編んだ大きな輪をくぐって半年の間にたまった穢れを落とすことのようです。すなわちあと半年後の年末にも行われるとのこと。まちがっても汚職政治家が居直って次の選挙に出ることではありません。

いずれにしても1枚の絵でこの歌の内容を表現することができず、このようなわけのわからない絵になってしまいました。


(99番)

生きているうちは、人を愛しく思ったり憎く思ったり、また世の中をつまらなく思ったりするそうな。「天下国家」を論じるような人は。

と言いつつ、作者の後鳥羽上皇は権力の奪還を夢見て鎌倉幕府に挑み(承久の乱)、敗れて隠岐の島に流されたそうです。

我々庶民なら、人の愛憎に対してはこのように肩ひじ張らずにもっと自然に受け止められるのに。


(100番)

オリジナルでは、軒から下がっている「忍ぶ草」を見て古きよき時代を懐かしんでいるのですが、ここではある円盤投げ選手がふと目の先に石畳のすきまから生えているタンポポ(俗にいう「ど根性タンポポ」)を見い出し、古代ギリシャの栄華を懐古しています。

ところで、この選手のイラストは例の有名なミュロンの彫刻をモデルにしたもので、その模倣像が、かつての国立競技場にありました。